真田家(シナリオ4・夢幻の如く)


<状況>

中級者への登竜門として名高いS4真田家。
上田城に金山があり、隣接する織田家・北条家・上杉家・武田家のうち後者2家と同盟中。
大名の真田昌幸および、息子の幸村はSランクの戦闘用タレントである上に、
家臣にも使える武将が多く、本来であれば極めて楽な大名家であるはずなのだが、
隣国の大々勢力である織田家が矢継ぎ早に攻めてくるため、プレイヤーの
指揮能力が問われるシナリオである。

さらにイベントなしでプレイすることによって、本能寺の変で織田家が分裂せず、
急速に勢力を発達させていくため、さらに難易度が上がり、織田家とどう応対するかの判断力も求められる。

<方針>

S4真田家は、上田城の防備を固めていてもクリアできない。特にイベントなしは。
よって、開始早々から他の領地に攻め入り、織田家の魔の手から逃れるわけだが、
問題となるのはどこに攻め入るか、である。

何回か試してみたが、私がやった限りでは、開始早々から徳川家の岡崎城を攻めても落とせなかった。
PC版では成功報告を見たことがあるが、私が下手なのか仕様が違うのかするのだろう。

夜逃げ(?)先の候補としては、葦名家が守る黒川城、最上家が守る山形城、
徳川家の駿府城などがある。ある程度慣れれば、どの城も簡単に落とせるのだが、
前者二つを攻めるのと、後者の駿府城を攻めるのでは、その後の展開がかなり違ってくる。
位置関係を見ればそれは明らかで、初めに駿府城を攻めた場合は、
徳川を滅ぼしてから北条家、関東諸勢力と南海岸沿いに打倒していくことになる。
葦名家、もしくは最上家から滅ぼした場合は、東北周回コースで戦力を伸ばして行くことになる。

最近の流行?では織田家の岩村城を落とすパターンもあるようだが、
実際にやってみたところ、岩村城を落とした後の織田家の逆襲が早すぎて、私には向かなかった。

私の好みは、徳川家を最初に滅ぼす南海岸沿いのコースである。
理由は2点あり、まず、徳川家の武将が素晴らしすぎるということ。
家康・忠勝をはじめ、統率90オーバーが5〜6名もいるのだ。
さらに、技術開発に必要な適正を持つ武将が多い。騎馬適正こそ忠勝以外は微妙なものの、
内政適正と足軽適正はほぼA〜Sランクまで揃う。

もう一点は、織田家の足止めが出来るという点。
岡崎城を奪えた後、織田家が岡崎城のために備えの人数を割くことによって、
他大名が攻め滅ぼされる速度を減少できる。さらに、徳川家との交渉で足軽技術を取得できなくなるため、
鉄砲隊以外の戦力を弱体化させることができる。

徳川家を滅ぼした後は、出来るだけ急速に勢力を膨張させ、織田家との決戦を待つことになるだろう。
時間との勝負でもある。


<リプレイ>

1582/1月
海津城から上田城へ、兵力100を残して物資を全輸送。
矢沢父は上田城へ呼寄せる。昌幸で探索をし、幸村は募兵、信幸は軍馬調達。
他のメンツは武田家との交渉で割符を得た後、牧場と市でも適当に作っててもらう。

一発目で金山が出るに越したことはないが、あいにく小笠原(しかも登用できず)だったので、
もう一度昌幸で探索に出かける。真田兄弟は相変わらず募兵と調達。すぐに上田城は捨てる予定なので
民忠なんて無視だ無視。

1582/3月
季節が変わってすぐ、昌幸が金山を発見する。その足で小笠原の登用に向かい成功。
すぐさま家宝を没収して武勇+10を幸村に授与w。
すぐ引き抜かれるが問題ない。政治60ある騎馬適正Sランクは惜しいが、
どうせしばらくは騎馬技術を上げる余裕などないのだ。

ここで武田家に駿府城を攻める要請を出し、昌幸+鈴木部隊(混乱+鼓舞)と
幸村+矢沢息子(突進+先駆)にそれぞれ兵10000ちょいを与えて出陣。
タイミングが合わなかったので、現地到着寸前で武田勢は壊滅してしまったが問題なし。
そのまま城の前にたむろす徳川勢に殴りかかって城に追い詰め、混乱+鼓舞コンボでひたすら殴る。
運のいいことに、駿府城の最高知略は忠勝の74だ。混乱が鮮やかに決まる。

ただ、やはりというべきか、織田家が上田城に向かって出陣。
上杉家に要請を出したが、どうせ落ちるのだから出さない方が良かったか?

1582/6月

上田城が落城する。海津城に収容し忘れていた矢沢父が捕まって斬首されてしまう。
最近こういうショボいミスが多いなあ。
この時点では駿府城が落城していなかったため、織田家がすぐに海津城を攻めていれば滅亡させられていたのだが、
上杉家援軍の残存勢力の討伐を優先してくれたため、少しばかり時間稼ぎが出来た。
小笠原から奪った1等級家宝で停戦するのは嫌だったので、ある意味ラッキーである。

1582/8月 

海津城が落城する。ちょうど落城の4〜5日前ぐらいに駿府城を落とすことが出来、
今回は家臣も無事収容できた。駿府城の兵力は11000名+負傷兵15000名。
岡崎城からの援軍と武田家の負傷兵が混ざっているから数が多くて助かる。

兵糧が少し心もとない(2万ほど)が、武田家に教えてもらった割符が近々取得できるので、
水田収穫と商館での取引も見越して浜松港に出陣。出陣武将はやはり昌幸と幸村の2部隊。
浜松港を奪取した後は、負傷兵が癒え次第、岡崎城へ出陣することにする。

1583/2月

岡崎城が落城、ここに徳川家は滅亡した。ここで今プレイ初セーブ。
家康とか忠勝に逃げられては話にならないので、ここはロード連打でほぼ全武将登用。
石川数正と大久保只佐には逃げられてしまったが、まあ良しとしよう。

さて、今後の展望だが、実はちょっと悩んでいる。
今後は岡崎城の防備を固め、北条家に進軍する予定だった。そのつもりで包囲網も不参加にしたし。
だが、織田家の清洲城の防備が予想外に薄いのだ。兵力7000、石落し+耐久9000で、鉄砲もわずかしか備蓄していない。
稲葉山城と岩村城にも援軍に来れるほどの兵力がないので、
霧山城(清洲の南西、北畠がいたところね)から2〜3部隊援軍が来るだけだろう。
つまり、清洲城を真田親子で攻めれば取れてしまうのである。

少考の末、織田家を攻めることに決めた。たまにはいつもと違うことをやってみるのも面白いだろうし、
何よりまだ、上杉家(春日山城+新発田城)と武田家が存命なのである。
今のうちなら、織田家を圧迫し続けて滅ぼすことも可能かもしれない。
少なくとも、織田家との正面衝突を避けるより、織田家の勢力膨張が遅いに違いない。

真田家の現在状況は、岡崎に兵20000、駿府に兵10000、金1457、兵糧7153である。
とてもこのままでは攻め込めないので、清洲領内に囮部隊を出陣させて時間を稼ぐことにする。
清洲に兵力を輸送さえされなければ、半年後にでも攻め込めるだろう。
その間に、内政学舎と鉄砲櫓を取得し、領内整備にいそしむことにする。

1583/11月

織田家は姉小路家と畠山家を滅亡させ、上杉家に直接的な圧迫を加え続けている。
駿府城の兵力を足軽9500で岡崎城に輸送することにする。これは清洲攻めの部隊ではなく、
上田城に駐留する織田家28000名に対する備えの軍なので、真田親子は足軽隊が岡崎に到着する前に
清洲へと向かって出陣することにする。昌幸隊15000、幸村隊13000。両方とも騎馬隊である。
まだ兵糧備蓄が30000ほどしかないので、やはり商館で兵糧を買いつつ進軍する。

霧山城からの援軍は、弓x1、鉄砲x1、足軽x1の計16000名ほどだ。
騎馬ではないので到着が遅く、彼らが到着する前に真田親子は清洲城の耐久を2000程度まで減らしている。
彼らはいったん清洲城に入ってから真田親子を攻撃し始めたが、真田親子はそれぞれ10000名ほど兵力を残しており、
すでに城門を突破している以上、勝利はすでにもらったも同然だろう。

1584/2月

清洲城落城。残党部隊の掃討も合わせて捕虜が5名手に入った。
カス武将は名声UP用に残しておいて、村井、佐々、九鬼、福島を即刻処断。福島を処断できたのは大きい。

清洲領内の整備をしようと思っていたが、予想通り上田城から5部隊、岡崎城へ向かって織田家が進軍を始める。
幸村隊騎馬10000を救援に向かわせ、暇な武将は清洲の領内整備を急ぐ。
ただ、前年に真田家が所持している上田城を攻めた際など、北条家や上杉家と小競り合いを起こしたせいか、
上田城の鉄砲が足りておらず、出陣してきたのは足軽4部隊と破城槌1部隊である。余裕だ。
もっとも竹中重治とか信長や勝家が入ってるし、徳川家との交渉で三間槍まで取得しているから手ごわいが。
上田城方面の武家町には、鉄砲櫓を縦1列、合計3基作成してある。幸村隊で迎撃することにした。

1584/9月

半年前の織田家の襲来は、5部隊中3部隊撃退して勝利した。もっとも、
幸村隊が壊滅寸前になったので城に戻し、おかげで城を少し殴られたが。
ここで2度目の織田家包囲網が結成される。北条を攻めるつもりはないので参加することに。
やはり兵糧がこころもとないが、灰吹法を取得中なので、余裕ができる
来年の頭ごろには霧山城へ進軍できるだろう。

1585/4月

織田家が鈴木家の雑賀城を攻めた頃合を見計らい、霧山城へ進軍。
雑賀からすぐに霧山まで戻ってこれるわけはなく、あっさりと占拠に成功。
ほとんどの武将が出払っていたので、1名も捕虜にはできなかった。

この頃、筒井家の築城隊が亀山(大和郡山城と霧山城との国境地点)へ向かって進軍。
潰すのは簡単だが、あえてそのまま放置する。亀山城に兵力を集めてくれたほうが、
櫓や織田家援軍の中で大和郡山城を落とすより簡単だからだ。

しばらくは領内整備にいそしむことにする。技術は二期作を研究中だ。

1585/10月

次の目標は筒井家に決定する。なぜなら、真田家の武将数が少ないため、領内整備に時間がかかってしまうからだ。
真田家と旧徳川家の家臣だけでは、駿府〜霧山までの4領国を速やかに整備するには武将数が足りない。
軍馬調達や募兵にいそしむ武将が各領地で必要なので、どうしても領内整備が遅れがちだ。

この時期の筒井家の家臣は、極めて優秀である。
すでに鈴木家は織田家に滅ぼされてしまっているが、本願寺顕如が逃げ出して筒井家に仕官している。
その他、本田正信・正純や島左近、柳生父など、Aランクタレントが勢ぞろいである。ぜひ欲しい。
筒井家と織田家の同盟が切れたら、筒井家は織田家に滅ぼされてしまうだろうので、
今のうちに攻め入ることにした。

まずは亀山城(兵力21000)に出陣する。
織田家と違い、戦闘技術を一つも所持していない筒井家などミジンコ同然である。
2回に1回は弾かれるが、知略+4家宝を所持した昌幸の火牛や、幸村の突撃など、
計3部隊で攻め上げる。亀山城に武将が集結しているせいか、一度も偽報をくらわなかった。

1586/2月

亀山城が落城した後、家康(政治112)で筒井家の勧告に成功。家臣は一気に粒ぞろいに。
もうこの時点で、家臣の能力を織田家と比べても遜色ない。
織田家の鉄砲学舎をたびたび破壊しに行ってるから元込銃も開発されていない。
兵糧収入も、秋70000、春30000、夏冬10000ほどの収入があり、安定している。
上杉家は新発田城だけになりながらも健在である。武田家も健在だ。もはや勝利は見えたと言っていい。
 
兵力数を比べてみると、真田家:合計120000、織田家:330000である。
遠い地域へ逃げるプレイの時とは違い、織田家の膨張がかなりゆるやかである。

大和郡山城の防衛施設を建設し、良馬生産を取得するため騎馬学舎の建設にいそしむ。
清洲城の南蛮町で鉄砲鍛冶を教えてもらい、霧山城の公家町で官位も3〜4個もらった。名声は340ある。
上田城から春日山城、富山城のあたりに織田家の兵力は集中しており、
今なら雑賀城、二条御所もすぐ落とせるだろう。

ただ、今後は粘りつつ技術を開発し、手薄な城を攻めて捕虜を処断し、少しずつ織田家を削っていく
地味な作業になってしまうことが予想される。正直それはめんどい(´Д`;)
中途半端になってしまいますが、今後の展開は文にするのもかったるい内容であることが予想されるので、
この時点で真田家をクリアしたも同然とみなし、このリプレイ記は終了とさせて頂きます。


<総論>

黒川城などに逃げて東北周回するより、織田家を早いうちから叩くことが出来れば、
織田家の膨張が相当遅くなる。東北に逃げてしまうと織田家が鉄砲をMAXまで上げてしまい、
さらに徳川家から十文字槍を習った挙句、同盟が切れた徳川を吸収して手が付けられなくなるので、
やはり岡崎城から清洲を伺う方針の方が決着が早く着くと思われる。

東北周回コースだと最終的に騎馬技術を上げる以外の選択肢がないが、徳川の武将を吸収する場合、
足軽技術を上げるか騎馬技術を上げるかは好みの問題になると思う。
どちらにせよ、織田より早くAランクの能力UP技術を手に入れられれば勝負は決するが、
昌幸・家康・酒井で足軽を上げるか、すでにBランクまで開発済みの騎馬をさらに上げるか、
どちらもスピード的にはそう変わらないのではないだろうか?
もちろんCランクも開発する必要がある時点で、足軽の方がやや遅れるはずだが、
騎馬を調達する手間がかからないので、結局は侵攻スピードの加速と防衛力の強化になるのではなかろうか。

ともかく、徳川家を吸収することが大事である。



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