太田家(シナリオ1:尾張統一)




<状況>

太田家には、特徴的な状況下に置かれている。
隣接国家である武田家と北条家が同盟を組んでおり、1555年8月末、つまり開始から3ヶ月ほどで、
武田・北条の連合軍が本拠地である岩付城に攻め込んでくるのである。
大名の能力値はわりと優秀(88/74/78/50)だが、家臣は凡将ばかりであり、
武田・北条の連合軍を撃退できる戦力はない。座して待てば滅亡あるのみ、
そんな、ケツに火が点き始めた大名家である。

<方針>

何も手を打っておかないと、武田・北条の連合軍は、ほぼ10割に近い確率で、
8月末に大挙、攻め込んでくる。
北条家に部隊を派遣して兵舎を壊したりすれば、連合されない可能性が出てくるのかもしれないが、やはり

信玄が騎馬で出てくる以上、正直に言って、武田家だけでも撃退するのは難しく、安定しないので私は好きではない。

また、長野家と同盟して防衛要請を出すという選択肢もあるが、
可能とはいえ長野家とはなかなか同盟できないし、その後の展開があまり楽にならないのでお勧めしない。

PC版と違って騎馬誘引がないため、連合軍の片方を他家に押し付けるのは不可能である。
よって、金山のある岩付城を捨てるのはもったいないが、開始早々から他家に亡命することにする。
亡命先は隣接国のひとつ、足利家の古河御所である。

古河御所奪取後は、武田家からの攻撃を耐えしのぎつつ勢力を拡大するという、
国の経営手腕を問われることになる。
まあとりあえず、難しいことは古河御所を落としてから考えよう。


<リプレイ>

1555/5月

開始直後、統率上位4名に足軽2000名ずつを与えて古河御所に出陣させる。攻城命令は包囲。
統率値の高い低いで、兵力数は微妙に修正しておくといい。
知略の低い太田息子などがたまに偽報にかかるが全く問題ない。
部隊の進軍ルートを細かく設定しておけば、城のまわりで城門を探してウロウロしたりすることもない。
誰も偽報にかからず、スムーズに包囲が完成すれば、最短で1555年の7月10日頃に古河御所は落城する。

余裕を見つけて、岩付城で探索をしておこう。8月末までに金山が見つからないと
その後の展開が少し厳しくなるが、まあ出なくても問題ない。

たった今攻め滅ぼした古河御所には、今後の太田家の支柱となる結城晴朝がいる。
他にも政治家としては使える武将が多いが、金銭難に陥りやすいため、
必要な武将だけを登用するようにする。

その後、すぐ里見家と同盟を組む。たいした技術を持っていない国だが、
武田からの防衛および、佐竹家の攻撃を視野に入れると、やはり里見家がベストだ。

古河御所の施設だが、初期の農村のすぐ右、つまり城のすぐ下、街道の左側に武家町をひとつ、
城の左上、築城可能地帯のすぐ下に武家町をひとつ、城の上、川沿いに農村を一つ、
城の左を流れる川沿いに公家町(6個施設を建設できるように)を建設する。

太田家の序盤でもっとも気をつけることは、兵糧切れだ。
しかし、建設可能な街の数が少ないので、効率的な施設建設をしなければならない。
まず、城のすぐそばの街道を除いて市を建設する。ついで水田、兵舎、忍の里、足軽学舎。
兵舎は後回しで、季節ごとに建てるぐらいでいいと思う。兵舎数は6〜7個推奨。
足軽学舎が2個以上建ったら、余裕のある武将で金砕棒、草鞋を開発する。
草鞋まで開発し終わったら築城学舎に作りなおし、御殿を開発する。

御殿を開発するかどうかは個人の好みだが、私は城の防御値と防御戦法が欲しいので開発する。
開発し終わったら、公家町は撤去して農村に作り変える。
手が空いている武将ができ次第、城近くの街道に櫓を設置していく。

なお、夏・冬には手の空いている武将を使って、佐竹領内に囮部隊を出陣させておくと今後が楽だ。

さて、内政にしばらく時間がかかるだろうが、武田と北条の同盟が切れるまでが一つの山場である。
武田が攻め込んできたら、里見家への防衛要請などで必死に守りきる。
無理に敵を撃破する必要はない。大事なのは、武田家の騎馬をどれだけ削ったか、である。
騎馬隊でさえなければ、武田家とてさほど強くはないからだ。

武田の動き方しだいで、かなり展開が変わるが、目安として5〜6万以上の兵糧の備蓄があり、
メインの武将と兵力が留守でも岩付城の武田家から古河御所を守れるだけの軍備が整ったら、
里見家に要請を出し、佐竹家を共に攻める。
ただし、佐竹家に十分な兵力(20000以上とか)がたまってしまっていたら、
佐竹家の留守を強襲するか、さらに他勢力(まあ相馬家だな)が佐竹家に攻め込んでいるのに便乗しないと
難しいだろう。

ちなみに宇都宮家の援軍が佐竹家の太田城へ来るだろうが、たいていは弓部隊で足が遅いので、問題ない。
騎馬とかで来られると少し困るが、里見家の部隊に盾になってもらって、晴朝の混乱・鼓舞や
資正の槍備でガリガリ太田城を攻め続けよう。里見家に金砕棒などを渡せていればなお良い。

1558/5月

上に書いた佐竹家攻めをする少し前のことになるが、岩付城の武田家から信玄の騎馬隊など、
合計3部隊、20000近い兵力が古河御所に攻め込んできた。太田家の全兵力&武将が古河御所にいる状態である。
南の街道沿いは、左右に2つずつ、計4つずつ櫓を建設してあるが、さすがに信玄の騎馬は防御力がやたら高い。
里見家に防衛要請を出しつつ、信玄以外の部隊(内藤隊の弓とかだった)を中心的に叩く。

信玄は篭絡を計略として装備することが多いので、城をほとんど空にしていれば大して怖くはない。
どの部隊も逃がしてしまったが、里見家の奮戦もあり、撃退に成功した。
兵糧も40000ほど残っており、9月の水田収入も見越せばかなり残っている方だろう。

里見家が久留里城に戻り次第、佐竹家を攻める要請を出し、連合軍を結成。
今回のリプレイでは、太田城を落としたのは1559年の1月だった。
太田城を攻め落とした段階で残り兵糧が10000ぐらいだったので、佐竹家の鹿島港を攻める余力はない。
門前町や農村を建て、畑を中心に、兵糧施設を建設しまくる。

夏あたりになったら、鹿島港を攻めて佐竹家を滅ぼしてもいいだろう。
ちなみに、無理に義重を出さなくても良い。佐竹家の現大名も、処断するには惜しい武将だ。

1559/10月

鹿島港を攻めて佐竹家を滅亡させた。
有力武将をゴッソリ配下に入れる。

ここまでのプレイを安定させるのが太田家で最も難しい部分なので、これからは楽になるだろう。
なぜなら、佐竹家の太田城には門前町が建設できるので、手段さえ問わなければ
武田と永久に停戦し続けることも可能なのだ。

宇都宮家より佐竹家の制圧を優先したのは、やはり佐竹家の方が人材が良いからである。
佐竹家の岡本と、結城親子で内政Aが3人揃うので、内政学舎を取得した後、
鉄砲櫓→二期作→灰吹法の順で技術開発を進める。
余裕を見つけて、武田が来襲してくる古河御所・太田城の街道沿いを鉄砲櫓で固めておくといいだろう。

なお、私の場合は里見家との同盟で結城正勝が人質になっていたので、坊主から内政+の家宝を買って開発した。

1560/8月

里見家との同盟期間が切れる。
今後、どの大名家と同盟を組むか悩むが、近畿地方で勢力を伸ばしていた斉藤家と同盟を組むことにする。
近場の大名ではないのが悲しいところだが、本城を3ヶ国持っていて、足軽技術を胴丸まで開発していたので、
三間槍の技術交換ができるというのがその理由だ。よし、公家顔の太田妙よ、義竜に嫁ぎに行きなさいw


武田家は長野家と同盟を組み、たびたび共同軍で攻め込んでくるが、鉄砲櫓で固めた街道で撃退できる。
ともかく三間槍を取得し、じゅうぶんな兵糧が溜まるまではしこしこ内政を続けることにする。

1562/11月

久しぶりのチャンス到来。
信玄を含む武田家4部隊が、北条家の小田原城に向けて出陣した。
これは横取らなければということで、太田城と古河御所の兵力をかき集め、
足軽5部隊、32000で小田原へと出陣する。

北条家からの停戦要請はもちろん拒否するが、武田家は城の耐久をほとんど削った後、
北条との停戦に応じて岩付城へと帰っていく。
帰還する武田軍に道をゆずり、小田原のすみっこにちょこんと鎮座する我らが太田軍。少し情けない。

武田軍がみな帰った後、気を取り直して小田原城を攻める。
風魔小太郎の偽報に悩まされるが、なんとか落城させられそうである。

1563/4月

小田原が落城。残った兵力は16000+負傷兵22000ほど。
さあ後は下田港を攻めるぞーっと意気込んでたら、北条家が武田家の勧告を受け入れて滅亡 orz
氏康はぜひとも欲しかったのだが、何度ロードしなおしても100%勧告されてしまうので、
諦めて防備を固めることに。

なお、半年前に北条家と停戦した武田家は、もてあました兵力を里見家の久留里城にぶつける。
さすがに横取りできるほどの余力は残っていなかったのでそのまま放置。
2〜3ヶ月後に里見家は滅亡した。

その後太田家は、足軽技術の開発を斉藤家に任せ、築城技術の開発に取り掛かることにする。
内政技術は、鉄砲櫓、二期作、灰吹法、灌漑だけ取って後は諦める。
三層天守と鉄城門さえ開発してしまえば、武田家の猛攻も軽く防げるようになるだろう。

その後の展開はある程度省く。
なぜなら、坊主が来訪し次第、近隣諸国へ出陣→武田が攻めてきたら武田と停戦、でOKだからだ。
ざっと略歴を記す。

1564/5月

長野家を滅亡させる。

1565/3月

相馬家を滅亡させる。

1566/6月

宇都宮家を滅亡させる。

1566年12月

武田家が、岩付城・久留里城の兵力を総集結させて古河御所へと攻め入ってくる。
太田家は、宇都宮城・箕輪城・太田城の兵力をかき集めて古河御所を防衛する。
坊主で停戦しないのは、今なら武田家相手でも勝てる、と踏んだからだ。

岩付城で遮断されている小田原城以外の全拠点から、古河御所に兵力を集中させる。

武田家は、良馬生産つきの騎馬隊が4部隊、弓が2部隊に足軽が2部隊で、
信玄、昌幸などSランク武将も混ざっている。

だいたい武田家:5万と太田家:6万ぐらいの戦闘だろうか。

1567/5月

実に6ヶ月間も戦闘をしていたが、危ないところで古河御所の防衛に成功。
武田軍は1部隊も余さず撃破して負傷兵を吸収する。

この戦闘の結果、太田10万、武田15万だった勢力差が一気に縮まる。
現時点での両家の総力は以下の通り。

武田家:名声302 兵力129026 兵糧163709 騎馬技術:良馬生産まで 内政技術:割符まで
太田家:名声394 兵力128626 兵糧70776  足軽技術:三間槍まで 内政技術:灌漑まで

名声がやたら高いのは、相馬家の小高城を攻めた際、相馬家と同盟中の伊達家の援軍が来たが、
小高城を攻め落とした後、わざと伊達家に小高城を取らせ、逆攻めで城を落とし、
大量の捕虜が手に入ったから。

十文字槍の開発がまだだが、足軽+の家宝もあるし、太田資正、上泉など足軽A適正も3人いる(政治低いけど)。
武田家の兵力の半分は深志城・駿府城に集まっているので、関東地方は太田家が余裕で制圧できるだろう。
もっと安定したプレイをするなら、斉藤家との同盟期間が切れたあと、武田家と同盟するという選択肢もある。
太田家は、すでに最大勢力の一つとなった。

この時点で太田家をクリアしたものと同然とみなし、このリプレイは終了とさせて頂きます。


<総論>

実は何回か滅亡している。
やはり一番の原因が、武田に攻められた際に兵糧が切れてしまうことで、
武田家自体は撃退できても、便乗組の長野家や宇都宮家からの攻撃で滅亡してしまうのだ。
一度、二年連続で凶作→台風のコンボをくらい、兵糧が切れて泣きそうになったことがある。


太田家のプレイで重要なのは、古河御所奪取後の効率的な領内開発である。
佐竹家を速やかに滅ぼすために囮部隊を出しておくのもかなり重要だ。
まっとうな手段で太田城を攻めると損害が大きく、何より兵糧の消費がバカにならない。

私は佐竹家を攻め滅ぼした後、内政技術を取得し始めたが、近隣勢力と同盟し、
自力で三間槍を取得するのもアリだと思う。太田家と佐竹家の武将だけで足軽Bは三人揃うはずだ。

ちなみに、今回のプレイで、極めて運が良かった点が一つだけある。
古河御所を奪取したあと、宇都宮家が登用に失敗したのか、大関高増が古河御所に浪人として来訪してきた。
ほくほく顔ですぐさま登用。おかげで太田家の知略面が大幅に改善され、
晴朝の部隊とは別にメイン部隊を出動できたのが大きい。

やはり佐竹家を滅ぼすまでが、太田家のもっとも難しいところだろう。


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