蠣崎家(シナリオ1:尾張統一)




<状況>

多少暇ではあるが、詰み将棋プレイでもなく、急いで勢力を拡張させる必要があるため
プレイヤーの判断能力が問われ、個人的に管理人が好きなシナリオの一つである。
蠣崎家は内政と水軍技術を持ち、初期武将はたったの二人。
大名:蠣崎李広の能力値は、政治こそ優秀なものの、それ以外は際立って強いわけではない。(71/49/70/84)
固定で1556/1月に娘が生まれるが、やはり政治こそ78あるものの、他の能力値は50代程度と微妙。
最北端に位置する立地条件から、函館港を経由して最寄の敵港を攻めることから始めなければならない。
本城の徳山館には金山が一つあり、安東家と同盟を結んでいる。

<方針>

家臣の数が少ない上に探索で見つかるのは金山のみであるため、領土拡張が遅れがちである。
とはいえ序盤に攻め取れる領地がないため、しばらくは不本意ながら内政に専念する必要があるだろう。
隣接する南部家は、開始時から本城を二つ持ち、騎馬技術を持つ強豪国である。
水軍技術を持ちながら関船など何一つ作れない蠣崎家としては、まともに戦っても勝ち目はない。
安東家への要請などを使い、他勢力が南部と戦闘している隙に横槍を入れることになるだろう。

最大の敵は武田家である。蠣崎家は家臣が少ないため、勢力拡張に時間がかかりがちだが、
ぼやぼやしていると武田家が近隣諸国を飲み込んで膨張し始める。
一見すると無理なようだが、ともかく武田家に遅れを取らないように勢力を広げなくてはならない。

実は、一回失敗した。以前クリアしたことがあるのだが、改めてプレイしてみたところ、
武田と上杉が正面からぶつからず、横の東北へと伸びてきたため、
有力武将がごっそり持っていかれてしまい、どうしようもなくなったので、もう一度最初からプレイ。
これから書くのは二度目のプレイ時のものである。


<リプレイ>


1555/6

南条を徳山館に呼び戻し、片手間に金山を探しながら必死に兵舎を作る。
ちなみに今後、徳山館は、初期からある武家町にはすべて市を作り、
残りは全て農村にする予定だ。農村に作るのは兵舎10、忍の里と工匠館1ずつ、残りは全て漁戸と畑。
とりあえず兵士数を揃えなきゃってことで、優先順位は忍の里>兵舎>工匠館>市=漁戸>畑である。

1555/10前後

南部家が石川高信隊5000、南部晴政隊7500(両方とも弓・小早)で函館港へと来襲。
大名を徳山館に戻し、足軽7980で函館港に出陣。後は南部家が帰っていくまで放置だ。
しばらくすると、石川隊が壊滅し、晴政隊は久慈港(右の方の港ね)に帰っていくはずだ。
彼らが帰ったら、修復なんて後回しで季広は徳山館に帰還、内政の続きをやる。

ここで手薄な十三港(左の港ね)を攻める選択肢もある(季広11000前後でギリギリ落とせる)が、
今回はまったり内政をすることに。

1556/1

蠣崎圭が髪結い。もちろん武将としてコキ使・・・・・もとい、父の覇業に手を貸してもらう。
しばらく時間がかかるだろうが、徳山館の開発が全て終わったら、函館港に商館を3つ建て、
あまった金銭で鉄砲を買い込む。10000程度集まれば上出来だ。
徳山館の兵士も、一定数たまったら函館港へ輸送する。

1557/9

いつの間にか1年半もしこしこ内政をしてしまった。
東北の情勢は開始時と変わっていないが、最上家の山形城が上杉家によって落城しているので、
家臣集めのため、わざわざ最上家の酒田港まで李広隊:鉄砲10000、圭隊:弓12000程で遠征することにする。
南条はお留守番で募兵しててもらう。南部家の家臣は頭が悪いのでw、十三港の前を素通りしても
ほとんど偽報は食らわない。
ご丁寧なことに、上杉家が最上義守を処断してくれているため、最上家の当主はすでに義光である。
やたら遠いところまで遠征する分、兵糧の消費が甚大であるが、徳山館に兵糧施設を作りまくったおかげで、
当分は兵糧切れの心配がない。

1558/2

最上家が滅亡。義光を初め、全武将をごっそり登用し、配下の質が急激に高くなる。
なお嬉しい事に、1月に新たな姫武将が髪結いしたため、内政Aランクが3人揃った。
このペースならクリアできそうである。

1558/8

しばらく暇だったが、徳山館で募兵をし、兵力が10000ほど集まったので、函館港へ輸送する。
酒田港にも、半年前に最上家を攻めたときの20000名が手付かずで残っている。
斯波家が南部家を攻めるまで待った方が傷が少ないだろうが、武田の勢力膨張に張り合うためには、
そんな悠長なことは言っていられない。安東家に石川城攻めの要請を出し、
最上義光を初めとした合計3部隊で十三港に攻め込む。十三港に篭もる兵力は7000名だけだが、
やはり自軍の船が小早だけにかなりダメージを食らう。何より、弓隊だから
混乱を発動させる闘志が中々溜まらず、三戸城から2部隊(5000x2)の応援が到着してしまう。
とはいえ、やはり南部家の武将は総じて知略が低く、義光の混乱を当ててからは急速に敵兵力を削ることができた。

1558/12

大体20000名ほど残して十三港を制圧した。自軍と敵軍、両者あわせて、負傷兵を20000名前後獲得。
一気に兵力が増えた。兵糧は残り3〜4万といったところだ。
負傷兵が癒え、1〜2回季節が変われば石川城にも攻め込めるだろう。

1559/5

安東家に要請を出し、共闘で石川城に攻め込む。もはや戦力差は圧倒的で、
たまに三戸城から奇襲が飛んでくるが、こちらも25000名程+安東家の戦力で攻めている以上、
戦況をひっくり返すほどの痛手にはならない。目下のところ、懸念材料は、
安東家との同盟がそろそろ切れることだけだ。

1559/10

石川城が落城した。何名か捕虜を手に入れる。今後家臣にすることを見越して処断はせず、
捕虜変換を求められた際、名声を上げるためにそのまま放置。

技術は、水軍より内政を上げることにし、内政学舎を優先して建てる。
他の領土は、やはり兵舎を10建て、残りはほとんど兵糧施設に。
機動力+6技術がないので、戦闘する際にえらく兵糧を消費するためである。
まあ、水軍を開発するのは、蠣崎慶広が元服してからでもいいだろう。

ここから勢力を上げるペースが上がって来る。いちいち書くのもアレなので、細かいところはある程度割愛します。

1560/6

安東家との同盟が切れる。近隣で同盟を組めそうな大勢力はなかった。
いま蠣崎家が最も欲しているのは水陸両方で使える鉄砲技術だが、
鉄砲が得意な大名で同盟できるのは、はるかかなたの島津家のみ。

上杉家と同盟できれば一番いいが、今回のプレイでは室町足利家がけっこう頑張っており、
すぐには滅亡しなさそうなので却下である。伊達家も、近日中には攻め滅ぼしてその配下を傘下に入れたいので、
同盟はしないことにする。しばらくは同盟などせず、孤軍で奮闘だ。

今後は、斯波家が南部家を攻めるのを待って漁夫の利を得たいなぁとか考えていたら、
何を勘違いしたのか、安東家が上杉家の山形城を攻め始めたので、
これ幸いとばかりに後方から安東家の檜山城へ出撃。混乱・鼓舞コンボが鮮やかに決まる。
檜山城を落としたら、士気が回復し次第、安東家の港へ攻め入ることにしよう。

1561/5

安東家が滅亡。檜山城が新たに領地に加わり、本城の数が3つに。
ここで檜山城の領地開発を進め、技術を開発したいところだが、それは悠長に過ぎる。
現在取得している内政技術は、割符・鉄砲櫓・二期作だけ。時間が惜しいので伝馬制と灰吹法は取得しない。
檜山城で内政学舎を4〜5個増やせば品種改良まで取得できるが、義光や安東愛季などの
戦闘用武将は出陣させたいので、しばらくは、低能力武将で、不要な町並みを畑などに作り変えるだけにする。

いま攻め込めば斯波家は滅亡させられるだろうが、上杉家に攻め込まれないため、ある程度の兵力は
檜山城に残しておきたい。
檜山城の兵力はそのままにしておくことにして、徳山館、および石川城で募兵できた兵力を、
函館港へ輸送する。だいたい25000名ほどが集まったので、義光および安東愛季などで久慈港へ出陣。
やはり義光の混乱が物を言い、あっさりと久慈港を取得できた。

1562/6

いよいよ南部家を滅ぼすのだが、そこで邪魔が入る。邪魔っていうか、うーん。彼らは何なんだろう。
兵力が少なくなった南部家にむかって、斯波家が2部隊11000名ほどで出陣していくのである。しかも片方は破城槌。
南部家最後の砦、三戸城の兵力は7000名ほどだけ・・・・・なのだが、斯波家の部隊は
奇襲を次々と食らってあっさりと壊滅する。なんていうか・・・・・・負傷兵ゴチです。
多少は耐久を削ってくれたので、便乗して出陣することに。
斯波家なんかとは違い、例によって義光や安東愛季で攻めてるので、混乱であっさり落ちてくれることだろう。

1563/1
南部家を滅亡させる。南部晴政を初め、政治こそ低いものの、戦闘向きの武将を何人か補充することができた。
この勢いに乗り、斯波家の高水寺城も攻め落としてしまうことにする。停戦の使者が来たがもちろん追い返す。
南部を攻めたのが尾を引いているのだろうか、ほとんど戦力が残っていない。あっさりと滅亡させる。

近隣諸国で、上杉・武田以外に生き残っているのは、もはや伊達家だけである。
元服こそもう20年前後かかるが、伊達政宗や成実、片倉などを配下に入れることを考えると、
伊達家は是非吸収しておきたいところである。とはいえ、20000近い兵力を擁す伊達家に
ガチで攻め込んでも被害が大きくなるだけなので、ここは他勢力が岩出山城を落としてくれるまで様子見とする。
なんせ高水寺城はこっちが抑えているので、岩出山城なんか無視して塩釜港を攻め落とせるのだ。

とはいえ、自分から攻め落とせる拠点がなくなってしまった事も事実なので、
しばらくは技術を上げることに専念する。気になる同盟だが、けっきょく島津家と同盟することにした。
一向に室町足利家が滅びる気配がないから上杉とは同盟できないし、いまは名声が300近くまで上がったので、
仮に島津と同盟していても、今後、他勢力と同盟することは可能だろう。
何より、水軍に使う鉄砲技術を取り急ぎ取得したいのだ。

内政技術は、灌漑まで取得した。灰吹法・伝馬制・品種改良以上の内政技術は、潔く諦めることにする。
今後は、戦闘技術を上げていきたい。戦闘用技術を上げないと、上杉・武田とは戦えない。
技術0の足軽で軍神に立ち向かうなど、機関銃に竹槍で立ち向かうようなものである。いやマジで。
やってないからわからないが、軍神つきの謙信の騎馬20000相手と正面衝突したら、
10倍いても勝てないんじゃないか?

とにかく、旧南部家家臣および、騎馬適正UPの家宝を授与した最上義光を動員して、騎馬技術を上げることにした。
政治が低いせいか騎馬学舎を取得するにも結構な時間がかかってしまう。

1563/3
上杉家の大群が来襲し、岩出山城を攻め始める。武田家は、佐竹家や里見家を攻撃中だ。
武田家は、将来的には相馬家も攻め落としてしまうだろう。そうなれば、蠣崎家は武田家と
直接対決しなければならない。タイムリミットはほとんどない。

さすがに、上杉家が攻めている岩手山城を横取りするだけの戦力は蠣崎家にはない。
いや、兵力数であれば、現時点でも上杉・武田とほぼ互角だが、技術差で負けてしまう。
とにかく、岩手山城の横取りを諦めて、その後の塩釜港を速やかに奪取することを目標にする。

1563/11

塩釜港が落ち、ここに伊達家は滅亡した。急いで旧伊達家臣を登用する。
伊達晴宗に騎馬適正UPの家宝を与え、高水寺城で騎馬技術を大至急取得させる。
とにかく馬上槍まで取得しなければ話にならない。

1564/7

馬上槍まで開発が終了する。島津家との技術交渉で鉄砲鍛冶を習得し、技術:散弾を教えてもらうべく家臣を向かわせる。
ていうか、薩摩は遠い。遠いよ西郷どん。片道54日もかかるのだ。

今後、攻め手がなくてジリジリしていたところだったが、何とありがたいことに、
武田家は相馬を攻めず、岩手山城の上杉家を攻めるべく大軍を発動させて北上を始めた。
ここだ。きっとここが、今回のプレイの天王山。ここさえ横取りできれば勝てるはずだ。
上杉・武田とも、軍勢内容がガチである。上杉:4万ほど、武田:5万ほど。
信玄・謙信の両人が騎馬隊で出陣しており、他にも両陣営が擁する最高レベルの武将が戦場に投入されている。
蠣崎家の軍勢はというと、徳山館および三戸城から輸送してきた兵力が6万ほど、高水寺城に蓄積されている。
高水寺城の騎馬が3万ほどしかなかったため、檜山城の騎馬を高水寺城に輸送して、準備万端だ。

上杉・武田の死闘が中盤から後半にさしかかった頃、最上義光・安東愛季や旧伊達・南部家臣をあわせ、
計45000名ほどの騎馬軍で、高水寺城から岩手山城に進軍する。やはり義光や愛季以外の部隊はたびたび偽報をくらうが怯まない。
岩手山城は、どうやら上杉家が死守しそうな様子である。武田も攻め続けているが、
戦場に残っている部隊の数値は上杉家が優勢だ。

1564/11

被害は大きいが、岩手山城の制圧に成功する。健康な兵力は23000名ほど残り、
負傷兵が40000名前後手に入った。武田家の捕虜2名と、上杉の捕虜が10名近く手に入る。
武田の捕虜は大した奴でもなかったが(保科正俊とか)、とりあえず処断。
上杉の捕虜は、なんと柿崎・本願寺顕如(すでに本願寺は滅亡済み)・斉藤朝信が手に入った。
もちろん処断。また、岩手山城の防衛戦に駆りだされたため、上杉家の山形城にも大した量の兵士は残っていない。
檜山城で温存していた兵士を投入して、山形城を攻めることにする。

1565/3

山形城を奪取。岩手山城とあわせて領内整備を急ぐ。技術は、馬鎧と耳覆いをすっ飛ばして
良馬生産の研究を始める。最上義光・伊達晴宗・南部晴政の3人だが、やはり300日近く時間がかかる。

また、上杉家の春日山城が武田家によって攻められており、山形城と隣接する
新発田城にもほとんど兵力が残っていない。士気が戻り次第攻め入ることにする。
何ていうか、真っ向からぶつからずにひたすら横槍を入れているだけのような気もするが、そこは弱小大名の習いということで仕方ない。

この時点で、蠣崎家が250000、武田家が180000、上杉家が160000ほどの兵力である。
おお、ガムシャラに働いてきた結果、武田より兵力数が上に・・・・・・!
とはいえ、そろそろ武田も良馬生産を手に入れそうだし、まだ油断はできない。
圧倒的な戦力差ができるまで続けることにする。

1566/5

武田家は相馬家を滅ぼし、宇都宮城に篭もる上杉軍を撃破して、ちゃくちゃくと勢力を伸ばしている。
対照的に、春日山城を武田家に奪われてからというもの、上杉家はどうも失速しており、
旧畠山領のあたりまで最前線を後退させた。この頃から面倒になってきたので軍団を新しく作り、
徳山館〜山形城の、いわゆる東北地方の西側の兵力は新発田城に、
三戸城から高水寺城、いわゆる東北地方の東側の兵力は岩手山城に集中させる。

蠣崎家の進軍はとても順調である。新発田城の次は、武田・上杉が激戦をしていた二本松城(宇都宮と伊達の中間地点)
に横槍を入れて奪取。ほとんど兵力が残っていない黒川城(葦名家のとこ)ももみ潰すべく進軍を開始する。

1567/5

総兵力:蠣崎400000、上杉150000、武田280000。結構余裕じゃね?とか思ってたら
1、宇都宮城から、2、太田城(佐竹のとこね)から、3、小高城(相馬のとこね)から、
信玄や勝頼、武田四名臣とかが勢ぞろい、合計12部隊、総勢150000近い兵力(うち6割が騎馬)が
わらわらわらわらと岩手山城へ向かって進軍を始める。シャア来たー岩手山城には6万ほど兵を入れてあるが、
悲しいことに騎馬が20000ほどしかなく、大した働きは期待できない。
近隣の領地にも、兵力はいても騎馬が少ない場所が多いし、何より家臣の質の差で負けすぎてる。
領地を広げすぎて、輸送などの事前準備がうまくいっていないところに付け入られた状況だ。

一応、武田が来襲してくることを予想して、岩手山城の南に一つ、西に三つ武家町もしくは南蛮町を作り、
鉄砲櫓で街道を固めてはいるが、信玄の騎馬21000が攻め手に混ざっているのが決定的である。これは勝てない。
停戦期間中に武田の兵力が一回り多くなってしまうので、あまり停戦はしたくなかったが、
仕方ないので僧侶で停戦してもらう。今みたいなミスはもう二度としない。
騎馬の輸送とバランスの良い兵力の配置を心がけよう。

1568/1

停戦期間中に、武田家は上杉家の柏崎港(残兵30000)を兵力45000で攻め始めた。
停戦期間が終わる間際に柏崎港が落ちたため、例によって横取りすべく新発田城から5〜6万の兵力で攻め寄せる。
すでに良馬生産の開発は終了しているから、相手の武将のレベルによっては五分以上に戦える。
あっけなく柏崎城は落ちる。その後、まだ兵力5万を残している武田家の春日山城は無視して、
春日山城の手前の街道から箕輪城(兵力3000ほど)を強襲することにした。
いままで箕輪城や深志城、岩付城・古河御所は、敵と隣接する最前線地域ではなかったので、
ほとんど兵力は残っていない。援軍も、深志城から昌幸隊足軽5000が来ただけだ。
他にも春日山から武田信繁隊他、4部隊で合計40000名ほどが来襲するが、騎馬隊が信繁隊だけだったので、
これは行く手を遮って返り討ち。負傷兵と捕虜を美味しくゲット。
箕輪城も、合計6〜7部隊で殴りかかればあっさりと落城。返す刀で、残兵力20000名ほどしかいない春日山城を落城させる。

これで勝負は決まっただろうか?

1568/10

大勢は決したと言っていいだろう。
蠣崎家:兵力527452、兵糧430487、本城数11
上杉家:兵力176449、兵糧123411、本城数6
武田家:兵力290692、兵糧501305、本城数9

他の大勢力は、九州の大友家が兵力280000ぐらいである。
包囲網対策として、島津家のほかに、上杉家とも同盟を組んでおくことにした。
太田城に武田軍が130000名入っているのが不気味だが、周辺の国を一枚一枚はがすように攻めていけば
あっさりと勢力を削ぐことができるだろう。

これ以上はパワープレイになってしまう(ていうか最後の2〜3年はすでにそうだった)ので、
これにて蠣崎家をクリアしたものとみなし、リプレイ終了とさせて頂きます。


<総論>

序盤、いかに加速するかが大事だ。
機動力+の技術がない部隊で連戦しても兵糧切れを起こさないため、領地は畑中心で開発する。
何より、圧倒的に足りていない武将数を、最上家を吸収することでカバーする。
今回、義光がすでに当主だったのはラッキーな部分だったが、義光がいなくとも
最上家の臣下を吸収すればかなり楽になるはずだ。

逆に、上杉家が山形城を落とさず、最上家が健在だった場合、かなりクリアスピードが落ちてしまうだろう。
今回のリプレイ以前に一度クリアしたときは、上杉家が、先に最上家の港を攻め落としてしまったため、
最上家の家臣が吸収できなかった。仕方がないので、安東家を吸収した後、
三戸城の南部家を無視して伊達家の塩釜港→佐竹家の鹿島港を攻めて、武将だけ確保してから逃げ去った記憶がある。

当然、勢力拡張速度はかなり落ち、最後はセーブ&ロードを駆使しないと
武田家には勝てなかった。

ある程度運にも左右されるが、やはり領内開発をある程度無視してでも領地を増やすことと、
連戦に耐える兵糧を確保すること、そして質のいい武将(最上義光・津軽為信・安東愛季あたりは必須)
を揃えることだろう。

セーブ&ロードといえば、実は今回のリプレイ、一度だけズルをしている。
1567/5月に武田家の大軍が来襲した際だが、何度やり直しても武田が撃退できなかったため、
僧侶が来るまでロードを繰り返した。だって信玄強いんですもん。




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