不倶戴天の敵(チャレンジモード・長野家)



<状況>

プレイヤーは長野家を担当する。1561年9月から始まり、1564年8月が終わるまでに、北条家を滅亡させることを目標とする。
大名の長野業正の能力値は極めて優秀(101/80/91/44)。配下には剣聖こと上泉信綱(武勇115)や、
一門武将の息子を初めとして統率70前後が数人いる。政治は60代が2〜3人いるだけでやや不便、
合計8名が初期武将として配置されている。攻略目標の北条家は、岩付城と小田原城、そして下田港を所持し、
北条綱成や風魔小太郎など
戦闘に向いた武将もおり、力攻めでは落ちなさそうである。
長野家は上杉家、結城家と同盟中で、隣接する武田家とは約二年間の停戦期間となっている。
北条家は小田原城と隣接する今川家と同盟中であり、小田原を攻める際は援軍が来ることが予想される。

<方針>

真っ向から攻めても、もちろん勝てない。長野家は本拠地の箕輪城でしか募兵できないのに対して、
北条家は本城を二つ持っているので、長期戦で勝ち目はない。
何より3年以内に北条家を滅ぼすとなると、スピーディに攻略していかなければならないのだ。
試しに、プレイが始まってすぐ、結城家に北条を攻める要請(開始後すぐだと、ほぼ通らないが)を出し、
業正とか上泉とかの足軽で攻めてみる。しかし、小田原からの援軍が来る上に、
耐久9000+つぶて持ちの岩付城は
一向に陥落する気配がなく、返り討ちになってその後の展開が絶望的になるだけであった。

他にも色々な手段を試してみた。CPUは必ず、プレイ開始してまもなく、小田原城から岩付城に兵力を輸送する。
これを利用して、鉄砲隊を引き連れた業正が停戦中の武田領を通過し、今川の駿府を経由して、
手薄な小田原城を強襲してみたが、士気低下と兵糧消費がはなはだしく、
岩付城や今川からの援軍がすぐに来てしまい
小田原を落城させるには至らなかった。

業正が同士討ちでも覚えてれば一発なのだが、混乱しか覚えていないのである。
ちまちま戦法を覚えているうちに、小田原城は募兵によって兵力が増えていくのは目に見えている。よって却下。
では、もうハメ手の類を使うしかないだろう。そもそもチャレンジモードの☆☆☆☆難易度は正攻法ではクリアできないのである。

<リプレイ>

プレイ開始後すぐの1561/9月、すぐにやらなければならない事がある。それは築城だ。
小幡憲重に築城隊7000名を与え、岩付城のすぐ北にある河越(2マスある候補のうち南)に進軍させる。
他の将軍は必死になって市を建設。なんせ金銭収支が0である。
築城隊が河越につく10日前ぐらいに、業正に足軽8300(槍備)を引き連れさせて河越に向かう。築城隊の護衛のためだ。
岩付城から迎撃部隊が出てくるが、業正で戦闘をしているうちに築城が完了するので、河越城に撤退する。北条も深追いしてこない。

次に、業正たちを箕輪城に呼寄せ、しばらくは内政に専念する。数度の戦闘に耐えうる兵糧収支と兵力を得るため、
水田や畑、兵舎を大量に作成する。

1562/2月

兵力15000弱を入れてある河越城に業正と上泉、他戦闘向きの武将を二名呼び寄せ、業正:足軽4000で出陣。
目標は、河越城のすぐ西にある北条家の武家町である。ここを攻撃していると、北条から迎撃部隊が出撃してくるので、
河越城から援護射撃しつつ、業正ともう一部隊で敵を挟み込んで壊滅させる、という寸法である。

だが、そこは適当プレイの管理人の本領発揮。なんと、敵が二部隊(綱成と誰か)出陣してきて殲滅しきれず、
逆に業正は河越城に追いやられ、上泉信綱隊は逆に挟み撃ちにあい、撃破されてしまった。
剣聖様は捕縛され、そのまま斬首。 (´・ω・`)モニュ?

そんなこともあるさと割り切って、業正を箕輪城に呼寄せ、4回募兵する。兵舎の数が多いので、合計10000名の兵士を新たに獲得。
そこで箕輪城の物資状況を見てみると、騎馬と鉄砲が10000ずつある。
足軽技術主体の長野家は、本来こんな物資は持っていないはずなので、つまりこれは、
この騎馬と鉄砲を使って勝てという肥様のお告げに違いない。
鉄砲を河越に輸送し、騎馬10000で業正は河越に移動。ここから逆襲開始だ。

例によって業正で武家町を攻撃して敵をおびきよせ、挟み撃ちで壊滅させる。鉄砲を大量に運び込んだおかげで、
城からの援護射撃が強い強い。あっさり殲滅できた。2〜3度これを繰り返し、1563/3月には、河越城:兵力13664+負傷兵4432、
小田原城:5142名、岩付城:4227名+負傷兵1178名にまでなった。理想的な状況である。

兵糧残りが20000程度だが、箕輪城で畑を開発しまくったおかげで、毎期7200(秋は17000程)の兵糧収支が得られるので問題ない。
この頃になれば要請が効くので、念には念を入れ、結城家に岩付城を攻めるよう依頼。承諾してもらい、結城家からは
弓9500(統70程)が岩付城に出陣。タイミングを合わせて、業正足軽10000と小幡足軽7000ぐらいで岩付に出陣。
鉄砲櫓と城からの攻撃だけで結城家の弓隊は壊滅したがw、あっさりと岩付は落城し、捕虜を全て斬首。
風魔小太郎がこれで消えたので、偽報をくらわない分、ぐっと楽になった。

1563/10月

停戦の切れた武田家が箕輪城(残兵3000)に出陣。武田家の武将は真田幸隆隊と小幡虎盛隊となかなか良かったが、
兵科が弓6500と弓5000の二部隊では負ける気がしない。一応上杉に救援要請を入れ、街道沿いの市を罠に作り変えて後は放置。
長野家との停戦中に武田家は斉藤を滅ぼしに行ったので、深志城に主力部隊がいなかったのが勝因か。
負傷兵が癒える頃を待って、業正隊と小幡隊で小田原城を攻める。兵力合計は18000程。
今川からの援軍、信虎隊の弓5000が来るが、弓では何の障害にもならない。小幡隊が壊滅するが、業正は8000程余力を残して
小田原城を制圧。岩付は兵が空っぽなので、留守中にあっさり里見に奪われたが気にしない。

1564/3月

小田原城は兵12300+負傷兵4500、北条の最後の拠点である下田港は兵3000ほど。
負傷兵が癒えるのを待ち、一気に港を押しつぶして、1564/7月末頃、北条家は長野家によって滅亡した。

<総論>

やはり、河越城を建設することと、岩付の武家町を攻撃して敵をおびき寄せて殲滅し、敵兵力を削ぎつつ負傷兵をゲットすることが重要。
今回は剣聖様が不慮の事故でお亡くなりになったが、彼が存命していれば戦法のクリティカルも期待でき、
もう少し攻城戦が楽だったはずだ。

もう一つは、武田軍に対抗する手段。箕輪城の地形の関係上、武田が来襲してくる街道に櫓が設置しにくい。
いくら何でも信玄+騎馬隊で来られたら防げないので、今回は運が良かったと言うべきか。
開始時に表示されるルールには記載がないので落とし穴になりがちだが、
岩付城を奪取しても、本拠の箕輪が落とされたら、実はその時点でチャレンジモード失敗なのである。

上杉家も、新発田城に兵力を集中させている場合は援軍に来てくれなかったりするし、
実は今回も、タイミング悪く一揆が起きて援軍を拒否され、あやうく孤軍で戦うハメになるところだった。
城を攻撃される一瞬前に、一揆を討伐した部隊が春日山城に入ってくれたから要請効いたけどね。
まあ、多少運の要素に左右されるのはこのゲームの楽しさってことで。


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